「伊勢の的矢の日和山」――志摩・磯部町


 日和山から見た的矢湾
 志摩半島安乗岬からは的矢湾が見えた。的矢といえば壺井栄の『伊勢の的矢の日和山』を思い出す。この作品は、私の関係していた高校教科書の教材候補に挙がったこともあって、よく覚えているし、『伊勢の的矢の日和山』は歌の文句の一節のようで、一度聞いたら忘れられないタイトルだ。
しかしその的矢がどこにあるのか、よくわからなかった。伊勢というから伊勢湾のどこかではないかと漠然と思っていたので、志摩半島にあるとは意外だった。ガイドブックの地図に的矢の日和山は載っていなかったし、壺井作品のことなどはどこにも載っていない。浜島の宿に帰って磯部町役場に電話をしたら、壺井作品に登場する的矢は当地で、日和山には案内板なども立っているという。
 壺井栄の祖母は「イセのマトヤのヒヨリヤマ」と子守歌のように繰り返しながら、船乗りだった夫勝蔵は船中で急病にかかって亡くなり、その墓が伊勢の日和山にある、自分に代わって「小豆島勝蔵」の墓にお参りしてくれと孫たちに頼んだ。後年壺井栄は、的矢の日和山に祖父の「小豆島勝蔵」の墓を探したが見つからず、それからさらに10数年後、再び日和山を訪れ、寺の過去帳を調べたり、船宿の老人に聞いてみたりしたが、ついに墓を探し当てることはできなかった……『伊勢の的矢の日和山』はそういう作品だ。
 安乗岬を訪れた翌日、磯部町役場にうかがったら、商工観光課の堀口さんが資料などを用意して待っていてくださった。「小豆島勝蔵」の墓と推定されているものもあるが、分かりにくいからと車で案内してくださった。その親切がありがたかった。あいにくの雨だったが、小雨にかすみながらも日和山からは、養殖カキの筏を浮かべた的矢湾がよく見えた。ここはかつて、帆船時代の避難港として栄えた場所で、船宿も多く、墓地には立ち寄った舟の死者を葬った無縁仏の墓も多かったそうだ。『伊勢の的矢の日和山』は高校の国語教科書に採録されたこともあり(尚学図書・国語T、昭和60年)、それには無縁仏の墓を積み上げた供養塔の写真なども載ってている。


『伊勢の的矢の日和山』の案内板
 
日和山の方位石
日和山の墓地
「小豆島勝蔵」の墓ではないか、と推定されている墓(中央)