斎宮――伊勢・明和町
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| 斎宮歴史博物館 |
| 志摩の浜島に2泊したが、強風波浪注意報は依然出たままで、神島に渡ることは諦めた。それで予定を変更、近鉄線の斎宮で下車、斎宮歴史博物館などを見学することにした。 斎宮といえば、真っ先に大伯皇女(おおくのひめみこ)の歌、「わが背子(せこ)を大和へ遣ると さ夜更けて暁露に我が立ち濡れし」(『万葉集』巻二)を思い出す。大伯皇女は14歳で斎王となったが、その12年後、弟の大津皇子がひそかに斎宮を訪れた時、彼の身を案じながら見送ったときの歌だ。大津皇子は、それから間もなく謀反の罪に問われて死罪となり、辞世の歌、「ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや雲隠りなむ(万3-416)」を詠んだ。大伯皇女は弟の死を哀傷して、「うつそみの人なる吾や 明日よりは二上山を弟背(いろせ)と吾が見む」(万2-165)とともと詠み、この姉弟の歌は、並んで高校教科書に載ることもあった。 斎宮で思い出すことのもうひとつは、『伊勢物語』の「狩りの使い」(六十九段)だ。朝廷の狩りの使いとして伊勢にやってきた主人公の「男」が、斎王と一夜を共にするという物語りだ。斎王は未婚の内親王から選ばれ、男性との交渉は厳しく禁じられていた。それでも斎王制度の確立した天武朝から後醍醐朝までの約660年の間に、タブーを犯して罷免された例が3例あったという『斎宮物語』(中野イツ)。『伊勢物語』六十九段の、「二日という夜、男『われて逢はむ』といふ。女もはた、いと逢はじとも思へらず。されど人目しげければ、え逢わず……』の描写に、タブーを越えて息づく人間の心を見る思いがする。短い出会いの後で、女(斎王)の詠んだ歌、「君や来し 我や行きけむ おもほえず 夢かうつつか 寝てかさめてか」を、男は泣きながら読んで、「夢うつつとはこよひ定めよ」と歌を返したが、その後はいろいろを障ることが重なって、再び逢うことは叶わなかった。 |
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| 再現された斎宮内部(展示室1) |
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| 斎宮史跡の10分の1模型 |
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| 斎王宮址の碑(斎王の森) |
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| いつきのみや歴史体験館 |
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| いつきのみや歴史体験館内部 |