杜甫『登岳陽楼』――教科書の風景 R


ーー雄大な景観、老病孤舟の詩人の涙
登岳陽楼

昔聞洞庭水  今上岳陽楼
呉楚東南裂  乾坤日夜浮
親朋無一字  老病有孤舟
戎馬関山北  憑軒涕泗流
岳陽楼に登る

昔聞く洞庭の水  今上る岳陽楼
   呉楚東南に裂け  乾坤日夜浮かぶ
    親朋一字だになく  老病孤舟あるのみ
    戎馬関山の北  軒に憑れば涕泗流る

岳陽楼からの洞庭湖の眺め()1999・8・3撮影

 杜甫は、李白とほぼ同時代の盛唐の詩人。わが国の教科書には、この「登岳陽楼」をはじめ多くの詩編が採られている。
 洞庭湖は長江中流域の大湖。岳陽楼はその北東岸にあり、現存するものは、清代の再建に成る。「呉楚」は長江中・下流域の古名。「乾坤」は天地。「戎馬」は兵乱。「軒」は欄干。「涕泗」は涙。詩の大意は、かねてから話に聞いていた洞庭湖の景観を、今、岳陽楼から眺めている。呉楚の大地が引き裂かれて湖となったというが、まるで天地宇宙を浮かべているかのようだ。この私には親しい者からの便りもなく、病み老いたわが身にあるのはただ一艘の小舟だけ。北方には戦乱が続いて故郷に帰る術もなく、欄干にもたれる私の目からはしきりに涙が流れ落ちる……。五言律詩で、押韻は「楼・舟・流」。「昔聞……今上……」、「呉楚……乾坤……」などの対句が絶妙といわれている。
 洞庭湖は中国第二の湖で、琵琶湖の七、八倍もの広さがある。そのほとりに建つ岳陽楼からの景観は有名で、多くの文人が訪れ詩文を残している。杜甫がこの地にやって来たのは大歴三(七六八)年、流浪の旅の途次だった。壮大な景観への感動と、老病孤独の憂愁とが見事な韻律でうたい上げられた絶唱だ。         
 その岳陽楼を私が訪れたのは、一九九二年の夏。重慶から揚子江を宜昌まで下り、そこからは汽車や車を乗り継いだ。三層の楼上から眺めると、茫洋たる湖に大小さまざまな舟が浮かび、傾きはじめた陽光が湖面に反射していた。まさに絶景だった。遠くに小さな島影が見えでいた。古代伝説と茶で有名な君山というその美しい島に、翌日舟で渡った。 同行者の中に「長老」とみんなであだ名をつけた元兵士がいたが、彼は大事に抱えていった日本酒を湖水に注ぎ、ひそかに合掌していた。戦友の霊への供養だと、言葉少なに後で語った。私も長兄が負傷したのが「中支」戦線だったことを思い出し、胸が痛んだ(ひたすら帰還を祈った両親の願いもむなしく、長兄は負傷が治るとまた前線に送られて、遠くインド・アッサム州の地で戦死した)。
 島の入り江にとま舟がつないであった。杜甫は岳陽楼を訪ねた二年後にとま舟の上で客死したという。耒(らい)陽県令が杜甫の窮状を聞いて酒や肉を贈ったところ、過食過飲で「一夕にして卒す」という伝説が残されているが、李白の、酔って水中の月を取ろうとして溺死、という伝説と比べてみても、杜甫晩年の窮迫・悲惨を思わずにはいられない。  (清水節治・法政大学講師)

『月刊国語教育』 1999・10月号


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